マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

古代日本で都が頻繁に遷都された理由は「トイレ」にあるのかもしれない

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職場の同僚が入院したので、お見舞いに行ってきました。

大した病気ではなかったらしく、すぐに退院できるそうですが、手術をしたばかりなので数日は寝たきりの状態とのことでした。

「仕事から離れてのんびりできるのはいいけど、困るのはやっぱりトイレかな」

とのこと。

トイレの介助をお願いするのは、恥ずかしさもありなかなか頼みにくいと言ってました。

ベッドの下に、しびんを用意してもらっているそうですが、誰にでも介助をお願いするわけにはいかないと思います。

数年前に、祖母が入院した際も、トイレの介助が大変だったことを思い出してしまいました。

そんなわけで今回は、おまるとしびんの由縁について書いてみます。

 

 

 

 

おまるの語源

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おまるという言葉の由来については、いくつかの説があります。

一般的に言われているのは、大小便をするという意味の「放る(まる)」に「御」をつけて「おまる」になったという説です。

現在は、「まる」の部分を「虎子」と書いて「御虎子(おまる)」と読みます。

「放る(まる)」という言葉が使われたのは、平安時代以降だとされています。

それ以前にも、「おまる」の語源だと考えられているものがあります。

日本の歴史で「おまる」が最初に登場するのは、『古事記』だという説もあります。

天照大神が高天原に神殿を築きましたが、その神殿で弟のスサノオノミコトが糞を撒き散らすなどの乱暴を働いたという逸話があります。

スサノオノミコトの乱暴を諌めるために、天照大神は天岩戸に引きこもります。

この逸話の中で、スサノオノミコトが神殿で糞を撒き散らした場面を

「糞まり散らし」

と表現しています。

「糞まり」の動詞マ・リの名詞形が、「おまる」の語源になっているという説です。

 

まり筥(はこ)

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平安時代の宮廷では、「まり筥(はこ)」というものが使われていました。

平安時代の宮殿には、トイレがありませんでした。

そのため、男性の貴族たちも女房達も「まり筥(はこ)」を用いて用を足していました。

 

しびんの語源

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しびんという言葉は、中国唐の時代に日本に伝来しました。

中国では「溲瓶」と書き、シュビンと発音されていました。

シュビンの溲は尿の事で、瓶は容器の事です。

唐の時代の中国宮殿にも、トイレがなかったと考えられています。

 

藤原京とトイレ

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日本では694年、唐の長安を真似て建設された、藤原京に都が移ります。

長安を真似た都のため、藤原京の宮廷にもトイレはありませんでした。

そのため宮廷で働く貴族たちは、おまるとしびんを持参して朝廷に勤務したとされています。

この風習は、その後100年以上続きました。

 

短期間での遷都

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694年に日本で初めて本格的造営によってつくられた首都・藤原京は、わずか16年後の710年に平城京に遷都しています。

平城京も、74年後の784年に長岡京へ遷都します。

こうした短期間での遷都が繰り返されたのは、宮廷にトイレがなかったことが理由になっていると考えられます。

 

当時の飛鳥川と藤原京内

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藤原京の宮廷に勤務する人達は、砂を入れた「まり筥」と「しびん」に用を足し、それを飛鳥川に流していました。

藤原京の人口は、3万人から4万人程度だったと考えられています。

この人たちも、深さ1メートル、長さ1メートルから2メートル、幅50センチほどの穴を掘り、その上に橋をかけて用を足していました。

こうして「糞まり散らし」たものは、飛鳥川まで溝を掘ってつなげ、川へ流していました。

汲み取り式のものもありましたが、汲み取ったものも飛鳥川へ流していました。

飛鳥川には上流からも様々なものが流れてくる上、ごみや糞尿で澱んでいたと思われます。

また、藤原京内も住民の糞尿が垂れ流しにされており、悪臭がひどかったという記録もあります。

 

遷都の本当の理由

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藤原京遷都からわずか12年後の706年、持統天皇は

「京内外の悪臭の原因は、役人の怠慢さによるものである」

という詔を発します。

藤原京は、悪臭漂う不衛生な都だったと思われます。

当時の人たちの寿命も、短命な場合が多かったのではないでしょうか。

藤原京が都だった時代の記録に、何度か洪水が発生したというものがあります。

垂れ流しにされた糞便が、洪水で都中に広がれば、疫病が蔓延したと考えられます。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、都が短期間で遷都されてきたのは、「糞まり散らし」が原因の1つになっていたような気がします。

 

 

 

参考文献

現代語古事記: 決定版

広辞苑 第六版 (普通版)

ここまでわかった飛鳥・藤原京: 倭国から日本へ

トイレ:排泄の空間から見る日本の文化と歴史 (シリーズ・ニッポン再発見)

日本トイレ博物誌 (第3空間選書)