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聖徳太子伝説は、日本の御伽話の原型であり、且つメッセージが込められている気がする

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桃太郎、浦島太郎、金太郎、かぐや姫といった御伽話について記事を書いたことがあるのですが

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聖徳太子についても、気になったので同じように調べてみました。

聖徳太子は実在の人物かどうか疑問視する説もありますが、そんな疑問が湧きあがるところも、桃太郎・浦島太郎・金太郎と共通している部分が多い気がします。

諸説ありますが、桃太郎のモデルとされるのは、吉備津彦命。

浦島太郎のモデルとされるのは、武内宿禰。ちなみに先日書いた記事では、蘇我馬子ではないかと仮説を立てました。

そして金太郎のモデルとされるのは、坂田金時です。

それぞれの物語でモデルとされている人物も、あくまで諸説ある中の1つと考えられています。

そんなわけで今回は、聖徳太子と御伽話の関係について書いてみます。

 

 

 

 

御伽話が成立した年代

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御伽話とは、古くから伝承されてきた物語、民話、昔話、伝説のことです。

説話と表現することもあります。

桃太郎・浦島太郎・金太郎以外にもたくさんの御伽話がありますが、今回は古い時代から語り継がれてきたとされる、この3つの物語と聖徳太子伝説を比較してみます。

桃太郎の物語が成立したのは、室町時代頃だと考えられています。

金太郎は、平安時代から鎌倉時代頃に成立した物語です。

浦島太郎は起源が古く、日本書紀にもその原型となっている物語が登場します。

日本書紀が編纂されたのは、奈良時代です。

その後、室町時代に『御伽草子』が編纂され、現在の浦島太郎の物語が広く知られるようになります。

聖徳太子の伝説が数多く書き残されている『聖徳太子伝暦』が編纂されたのは、平安時代です。

3つの物語と比較しても、聖徳太子伝説は古い時代に編纂されたものと考えて良い気がします。

 

聖徳太子の伝説

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聖徳太子は、6世紀末から7世紀の初めの推古朝において、初の女性天皇である推古の摂政として、蘇我馬子と共同政治を行った人物とされています。

聖徳太子には、普通の人間では考えられないような超人的なエピソードが数多く残されています。

こうした超人的エピソードが残されているのが理由の1つとなり、本当は聖徳太子という人物は存在しなかったのではないかという説が生まれました。

聖徳太子の超人的な伝説は、『聖徳太子伝暦』『日本霊異記』『三宝絵詞』『今昔物語集』などに書き残されています。

聖徳太子伝暦をもとに、太子の超人エピソードをまとめてみます。

 

西暦573年 受胎告知

聖徳太子の母である、穴穂部間人后(あなほべのはしひと)が、ある夜不思議な夢を見ます。

夢の中に金色の僧が出てくるのですが、この僧は久世観音の化身でした。

僧は夢の中で后の口に飛び込みます。

これによって、后は妊娠したとされています。

 

西暦574年 生誕と当時に言葉を発する

西暦574年の正月1日に、穴穂部間人后(あなほべのはしひと)は外を歩いていました。

厩のそばに差し掛かった際、急に産気づきます。

陣痛が始まったかと思うと、すぐに太子を出産しました。

太子は、生まれるとすぐに言葉を発したと言われています。

 

西暦575年 南無仏を唱える

太子が2歳になって間もない頃の2月15日、東方に向かって「南無仏」を唱えて再拝したと言われています。

この日は、釈迦の命日でした。

 

西暦579年 頭脳明晰

太子が5歳になると、1日に千字以上の文字を覚えるようになります。

6歳になると、経典を読むようになりました。

そして有る日、「私は衡山の慧思(えし)禅師の生まれ変わりである」と語り始めます。

7歳になる頃には、経典数百巻を読破し終えてしまいます。

そして11歳のときには、36人が一斉に喋った内容を間違えずに聞き取ったとされています。

 

西暦587年 四天王像

太子が14~15歳の頃、蘇我・物部戦争が起きます。

太子は蘇我側に加わりますが、戦争はなかなか決着がつきません。

そこで太子は、自ら四天王像を彫り、これを頭にかざしながら

「この戦いに勝利したら、寺院を建立することを誓います」

と祈ります。

すると敵の物部守屋は戦死し、蘇我側が勝利しました。

その後、太子は誓いを守り、現在の大阪市に四天王寺を建立します。

 

西暦593年 摂政

太子が20歳の頃に、女性初の天皇・推古天皇が即位します。

同時に、太子は天皇を補佐する摂政という役職に就任します。

弱冠20歳にして、日本の権力の中枢に登りつめることになります。

 

西暦595年 10人の話を同時に理解する

ある日、淡路島に1本の木が流れ着きます。

聖徳太子はこの木を見るなり、「これは天竺の栴檀香木(せんだんこうぼく)である」と言います。

その木を使って、太子は観音像をつくりました。

この頃太子は、10人の訴えを同時に聞いて、それぞれに的確に答えることができたと言われています。

 

西暦597年 菩薩

百済の王子である阿佐が日本を訪れます。

その際、太子を菩薩として礼拝します。

 

西暦598年 空飛ぶ馬

甲斐から献上された「甲斐の黒駒」という馬に乗り、空を飛んだと言い伝えられています。

その際、富士山から信濃、美濃を回って都へ帰ってきたそうです。

 

西暦603年 冠位十二階

冠位十二階を制定します。

 

西暦604年 憲法十七条と予言

憲法十七条を制定します。

ある日、家臣の秦河勝と話をしている中で、河勝の住居のある太秦に今より250年後に寺院が建立され、300年後には都が創られることを予言します。

 

西暦606年 蓮の花

太子が読経していると、天井より巨大な蓮の花が降ってきて、地面を埋め尽くしました。

 

西暦607年 遣隋使

小野妹子を遣隋使に派遣します。

 

西暦613年 聖人

太子が片岡山を訪れたところ、飢えに苦しむ人と出会いました。

太子は自分の衣服や食料を与えますが、その人は亡くなってしまいます。

死後は墓をつくり、手厚く葬られました。

後に墓を調べた人がいましたが、墓に遺体はなく、芳香が漂っていました。

飢えに苦しんでいたように見えた人は聖人であり、同じく聖人である聖徳太子には、それが分かっていたという逸話です。

 

西暦620年 死の前兆

この年、天に赤気が見られるようになります。

太子はこれを凶兆と考え、自分が死んだあと、上宮王家が滅びるであろうと予言します。

 

西暦621年 死の予言

沐浴の最中、自らの死を予言します。

 

西暦622年 死と芳香

斑鳩寺で没します。

遺体からは、生きているときと同じように芳香が漂っていたと言われています。

 

聖徳太子と憲法十七条

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『聖徳太子伝暦』から読み取れる太子の超人的な伝説をまとめてみたら、17の伝説になりました。

聖徳太子は、憲法十七条を制定したと教科書にも書かれていますが、江戸時代頃からこれに疑問を投げかける説がありました。

憲法十七条に使われている語句は、大化の改新以後にできた言葉がいくつも含まれています。

第4条にある、「群卿百寮(まえつきみたちつかさ)」という言葉や、第9条の「群臣」といった言葉は、大化の改新後に生まれた言葉です。

また、第12条の「国司・国造」という言葉も、飛鳥時代にはありませんでした。

国司というのは、701年に制定された大宝律令で初めて使われるようになった言葉です。

憲法十七条が制定されたとされるのは、604年。

こうした理由から、聖徳太子の存在や業績を疑問視する説が古くからありました。

 

昔話の登場人物

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昔話の登場人物は、お爺さんとお婆さん、そして子ども(童子)が登場する設定が多くあります。

そして子どもが成長すると、鬼退治や冒険に向かうというストーリーの流れが一般的です。

老人や子どもが、なぜ鬼退治に向かうのかということを説明するのに、境界説を使ってみます。

古代日本では、生と死の境界を大切にする風習がありました。

現在も、死に直面したことのある人は、その後の人生が大きく転換することが多くあります。

昔は、生と死が神聖なものと考えられ、境界に関する様々なしきたりが生まれました。

老人や子どもは、生と死の境界に近い存在だと考えられていました。

「鬼」という人ではない化け物に対抗できるのは、こうした生と死の境界に近い位置に存在する者だと考えられていたようです。

 

聖徳太子の鬼退治

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太子が14~15歳頃、蘇我・物部戦争が勃発し、これに参戦します。

『日本書紀』の中には、この時の太子の活躍が描かれています。

蘇我馬子は、物部守屋を河内国渋河に追い詰めます。

しかし、物部側は稲で城壁を築く「稲城」という呪術を用い、蘇我氏の軍勢を寄せ付けません。

そこで聖徳太子は、白蓼木(ぬりで)で四天王像を刻み、願掛けを行います。

すると物部側は、自滅するように崩れ、戦争は蘇我馬子の勝利に終わりました。

大人がどんなに努力しても成し得なかったことを、子どもの聖徳太子が呪力で勝利したという伝説です。

この伝説こそ、鬼退治に代表される御伽話の原型になっているような気がします。

 

聖徳太子伝説につながる物語

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『聖徳太子伝暦』から拾い上げた17の伝説は、世界中の伝説や説話につながっている気がします。

聖徳太子の母である、穴穂部間人后(あなほべのはしひと)の受胎告知や、厩で産気づくという伝説は、キリストの伝説と非常に良く似ています。

生まれてすぐに言葉を発したというのも、ブッダの伝説にそっくりです。

ここからは、聖徳太子は創られた架空の人物という仮定で、聖徳太子伝説を検証してみます。

もう一度、原文に近い御伽草子の桃太郎・浦島太郎と、聖徳太子伝暦を読み比べてみました。

改めて感じたのは、聖徳太子伝暦の方が、物語として読むと、作り込みが雑だということでした。

聖徳太子の人物像が聖人君子すぎて、なかなか感情移入出来ません。

対して桃太郎や浦島太郎は、幼いころから読み聞いてきたというのも理由になりますが、子どもにとっても感情移入しやすく、夢が膨らみやすいストーリーだと感じました。

今までいくつかの御伽話を深読みした記事を書いた中で、それぞれの説話にはメッセージが込められているのではないかという仮説を挙げてきました。

聖徳太子伝説が、他の御伽話に比べて雑な作り込みだったり感情移入しにくいのは、聖徳太子伝説が最初の御伽話だからだと考えられないでしょうか。

もしかすると、編纂者は敢えて物語を作りこまなかったのかもしれません。

そうすることで、数多くの御伽話を経て、聖徳太子伝説にたどり着くのを期待したとは考えられないでしょうか。

 

聖徳太子伝説に込められたメッセージ

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先程から、聖徳太子は創られた架空の人物だと仮定して書いています。

もしも、聖徳太子は創られた人物像だとしたら、聖徳太子伝暦を編纂した人物は、なぜそのような人物を創り出す必要があったのでしょうか。

私は、古代日本の歴史の中で空白になっている部分を、聖徳太子伝説や御伽話に残そうとしたのではないかと考えています。

『古事記』や『日本書紀』は、奈良時代以降に編纂された国の歴史書です。

その中で突然登場するのが、大和朝廷です。

『魏志倭人伝』など、中国の歴史書には日本の事が書かれたものがいくつかありました。

邪馬台国に関する記述も、魏志倭人伝の中に登場します。

邪馬台国を治めていた女王・卑弥呼や、その後に女王となった台与(トヨ)の記述辺りを最後に、日本の歴史には100年ほど記録に残っていない期間があります。

そして100年後に突然、大和朝廷が登場します。

この100年間の歴史について、『日本書紀』や『古事記』をはじめとした当時の国の公式な歴史書に、書き残せなかった理由があったと考えられないでしょうか。

歴史は、権力者の都合の良いものに書き換えられることは、世界中で行われてきました。

もしも正しい歴史を後世に伝えたいと考えた人たちが、聖徳太子伝説やいくつもの御伽話にメッセージを込めていたとしたら、日本の歴史の空白の100年を読み解くことができる気がします。

次の機会に書いてみたいと思っていますが、生前は豊聡耳皇子(とよとみみのおうじ)と呼ばれていたとされる聖徳太子と、邪馬台国の2代目女王・台与(トヨ)、そして伊勢神宮に祀られている豊受大神は、深い関わりがあるような気がしています。

それが、聖徳太子伝説と御伽話を読み解くことでつながっていくのではないかと考えています。

 

 

 

参考文献

お伽草紙 (新潮文庫)

御伽草子 上 (岩波文庫 黄 126-1)

蘇我氏?古代豪族の興亡 (中公新書)

わかる仏教史 (角川ソフィア文庫)

聖徳太子――ほんとうの姿を求めて (岩波ジュニア新書)

飛鳥むかしむかし 国づくり編 (朝日選書)

新史論/書き替えられた古代史1  「神と鬼のヤマト」誕生(小学館新書)

書き下し『聖徳太子伝暦』

聖徳太子伝暦訳解