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マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

「引っ越し」「年越し」「喉越し」、1000年「越し」の歴史を持つ蕎麦の話

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役立つ情報や知らない知識を学べるブログが大好きで、たくさんのブログを読者登録して読んでいます。

でも、日々の想いや何気ない日常を記事にしているブログも大好きなんです。

いつも拝見しているブログがあるんですが

nekoyapa.hateblo.jp

猫ヤパさんから先日、こんな趣旨のコメントを頂きました。

「今度引越しする予定なので、引っ越しに関するマナーや由来についての記事を読んでみたい」とのこと。

そんなわけで今回は、蕎麦について書いてみます。

 

 

 

 

蕎麦の伝来

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蕎麦は奈良時代に中国から朝鮮半島を経て日本に伝わりました。

当時の中国大陸では、現在の日本の蕎麦のように細長い麺にして食べていたという記録が残っています。

でも、時代とともに蕎麦食は廃れ、現在の中華料理には日本の蕎麦のようなものは無くなってしまいました。

 

蕎麦の食べ方

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平安時代から鎌倉時代にかけて、貴族や僧にとって蕎麦は、普段の食卓に並ぶような料理ではありませんでした。

蕎麦は痩せた土地でも栽培できることから、昔から非常食としても用いられてきました。

また、蕎麦は短期間で成長します。

そのため、鎌倉時代頃までは農民が飢饉に備えて栽培する作物という位置づけでした。

当時は、蕎麦を粒のまま粥にして食べる「蕎麦米」という食べ方がありました。

また、粉に挽いてこねた上で、麺にせずに「蕎麦がき」として食べたり、粉に挽いて水に溶き、焼いて食べる「蕎麦焼き」が一般的でした。

 

蕎麦切りの誕生

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蕎麦を粉に挽いて、麺にして食べるようになったのは江戸時代に入ってからです。

麺にした蕎麦が食べられるようになった当時は、蕎麦がきや蕎麦焼きに対して「蕎麦切り」と呼ばれていました。

 

江戸時代の蕎麦

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江戸時代、蕎麦切りは庶民の間に急速に普及します。

初めの頃は蕎麦粉だけで作られていましたが、徐々に卵や山芋をつなぎに使うようになります。

二八蕎麦は、つなぎが2で蕎麦粉が8のものになります。

ちなみに、幕末頃まで蕎麦1杯は16文で売られていました。

二八蕎麦の名前は、2×8=16に由来しているという説もあります。

江戸時代の初め頃は、蕎麦はもり蕎麦が一般的でした。

かけ蕎麦が登場するのは、江戸時代中期からです。

また、当時の江戸では「1つの町に蕎麦屋5件」と言われるくらい蕎麦屋がたくさんありました。

当時は屋台の蕎麦屋が主で、菓子屋が運営していたそうです。

江戸の庶民にとって蕎麦は、間食(おやつ)感覚で食べるものだったのかもしれません。

 

蕎麦の栄養

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蕎麦とラーメンを比較した場合、乾麺の場合は蕎麦のつなぎに小麦粉が使用されます。

ラーメンも小麦粉でつくられていますが、蕎麦にはビタミンやミネラル、アミノ酸などが含まれています。

蕎麦に含まれるコリンやビタミン類は、肝臓を保護する働きを持っています。

そのため、お酒を飲んだ後に脂肪分の多いラーメンでシメるのではなく、蕎麦でシメた方が体にはいいことになります。

現在も日本料理の宴会コース料理では、最後に蕎麦が出ることがありますが、これは理に適っていることになります。

 

引っ越し蕎麦

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引越し蕎麦とは、江戸時代から昭和初期頃まで日本で当たり前のように行われてきた習慣です。

新しく引っ越してきた人が、二八蕎麦を近隣に配る習慣のことです。

昔は蕎麦が安価に手に入っていたことや、「これから細く長くお世話になります」という意味を込めて挨拶の手土産とされていました。

江戸時代の長屋では、「向こう3軒両隣」と言われる自宅の向かい側にある家3軒と左右2軒の家庭に、せいろ2枚ずつの蕎麦を配っていました。

そして大家には、せいろ5枚の蕎麦を配るのがならわしでした。

蕎麦を配るようになる以前は、近所に粥を配ることが多かったそうです。

 

年越し蕎麦

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年越し蕎麦も、江戸時代に定着した風習です。

大晦日に蕎麦を食べる風習のことですが、その由来についてはいくつかの説があります。

蕎麦は切れやすいので、1年間の厄災を大晦日で断ち切るために食べるという説や、蕎麦のように細く長く生きることを祈って食べる、など諸説あります。

 

蕎麦の喉越しと作法

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蕎麦は江戸の庶民に親しまれてきた食べ物だけに、いくつもの言い伝えや作法が残っています。

江戸っ子は、蕎麦つゆを少ししかつけないというのは、昔から落語のネタになるくらい有名です。

これは、江戸でも「藪」系の蕎麦屋のつゆは濃くて辛いといわれていたものが、いつの間にか江戸の蕎麦全てを指すようになったとされています。

藪以外に、更科系の蕎麦屋も江戸にはたくさんありました。

そうした蕎麦屋では、つゆをたっぷりつけて食べていたようです。

他にも、蕎麦は口の中で長く噛んではいけないという作法もあります。

蕎麦は喉越しを楽しむもので、2〜3口噛んだらすっと飲み込むのが、通で粋な蕎麦食いの作法とされていました。

 

蕎麦を贈る習慣

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江戸時代から昭和の初め頃に比べると、現在は蕎麦を贈り物にする機会は少ないと思います。

お中元でも、素麺を選ぶことが多い気がします。

でも、日本で1000年以上庶民に親しまれてきた蕎麦は、これから親しくなりたい人や既に親しい人に贈るのにふさわしい品物なのかもしれません。

蕎麦の製法、食べ方、薬味、蕎麦湯についてなど、特に蕎麦好きな日本人はとにかく薀蓄を語りたがります。

江戸時代に「安くて」「早くて」「美味い」日本のファーストフードとして普及した蕎麦ですが、それよりもはるか昔から、時代を超えて日本人に愛され続けてきた蕎麦。

つい薀蓄を語りたくなってしまう程、格式張ることなく身近で愛され続けてきた食べ物なんだと思います。

 

 

 

参考文献

蕎麦の事典

すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ ──江戸四大名物食の誕生 (ちくま学芸文庫)

江戸そば一筋―並木薮蕎麦そば遺文