マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

かぐや姫に求婚した5人の貴族のモデルを調べたら、歴史の闇に触れた気がした

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先日、桃太郎・浦島太郎・金太郎について調べたことをまとめてみました。

 

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おとぎ話は調べれば調べるほど、興味深い話にたどり着く気がします。

今回は、竹取物語について書いてみます。

 

 

 

 

竹取物語とは

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竹取物語は、平安時代初期に成立したとされる物語です。

竹取の翁が、光り輝く竹の中から可愛らしい女の子を見つけ、「なよ竹のかぐや姫」と名付け、大切に育てます。

かぐや姫は美しく成長し、求婚してくる男性を次々と退けます。

ある日、毎日月を見ては悲しむかぐや姫を不審に思った翁夫婦は、その理由を問いただします。

翁の問いに、かぐや姫は「私はこの世界の住人ではなく、月の都の住人なのです。今度の15夜には月へ帰らなくてはならないのです」

と答えます。

15夜の晩、軍勢が翁の家を守る中、月からの使者がやってきます。

軍勢も翁も抵抗することができず、かぐや姫は月へと還って行ってしまいます。

 

5人の求婚者

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かぐや姫が美しい乙女に成長した際、5人の貴公子達が求婚して来ます。

この5人の人物、どうやら実在の人物がモデルになっているようです。

江戸時代の国学者、加納諸平は『公卿補任』という平安時代の官僚名簿の中に、竹取物語に登場する5人の貴公子の名前があることを発見しています。

5人共、当時の朝廷内で権力を持っていた貴族でした。

かぐや姫に求婚するのは、

右大臣・安倍御主人(あべのみうし)

大納言・大伴御行(おおとものみゆき)

中納言・石上麻呂足(いそのかみのまろたり)

石作皇子(いしづくりのみこ)

車持皇子(くらもちのみこ)

の5人です。

『公卿補任』に記載されている、5人のモデルは次の人物です。

右大臣安倍御主人(あべのみうし)のモデルは、701年に右大臣だった安倍御主人(あべのみうし)。

大納言大伴みゆきのモデルは、同年大納言だった大伴御行(おおともみゆき)。

中納言石上麻呂足(いそかみのまろたり)のモデルは、同年大納言だった石上麻呂(いそかみのまろ)。

石作皇子のモデルは、同年左大臣だった多治比嶋(たじひのしま)。

車持皇子のモデルは、同年大納言だった藤原不比等。

この説について、それぞれ検証していきます。

 

求婚者その1 安倍御主人(あべのみうし)

『公卿補任』に残されている右大臣の名前は、安倍御主人(あべのみうし)。

同じ名前で竹取物語に登場します。

 

求婚者その2 大伴御行(おおとものみゆき)

『公卿補任』に記録されている大納言の名前は、大伴御行(おおともみゆき)。

こちらも、同じ名前です。

 

求婚者その3 石上麻呂足(いそかみのまろたり)

『公卿補任』に記録されている大納言の名前は、石上麻呂(いそかみのまろ)。

足を1文字加えた名前になります。

 

求婚者その4 石作皇子(いしづくりのみこ)

ここからは少し当時の資料を調べる必要があります。

左大臣・多治比嶋(たじひのしま)には、「石作(いしづくり)」という名字の一族がいました。

これが、多治比嶋が石作皇子のモデルとなったと考えられる理由とされています。

 

求婚者その5 車持皇子(くらもちのおうじ)

車持皇子のモデルについては、様々な意見があるようです。

「くらもち」という名の政府高官は、『公卿補任』には登場しません。

そのため、竹取物語に登場する求婚者は、実在の人物に当てはまらないとする説もあります。

江戸時代の国学者・加納諸平は、車持皇子のモデルは藤原不比等だと考えました。

その理由は、藤原不比等の母が「車持(くるまもち)」という一族だったからとしています。

くるまもち、という読みと、くらもち、という読みが似ていることから、加納諸平は車持皇子のモデルを藤原不比等だと推察しました。

 

かぐや姫が5人の貴族に求めたもの

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5人の求婚者のうち、なぜ石作御子と車持皇子に関しては、実在の人物と異なる名前が使われたのでしょうか。

どうやらこの名前の付け方に、竹取物語が本当に伝えたいメッセージが隠れている気がします。

5人の求婚者が、かぐや姫から求められた宝と、その宝を探すために取った行動の中に、竹取物語の伝えたいメッセージがあると考えてみます。

 

安倍御主人(あべのみうし)と火鼠の裘(かわごろも)

かぐや姫は、「火鼠の裘(かわごろも)」という、焼いても燃えない布を持って来れば、安倍御主人と結婚すると伝えます。

安倍御主人は国中を探し回り、結果唐の商人から火鼠の裘(かわごろも)を購入しました。

かぐや姫がこれを焼いてみると、みるみるうちに燃えてしまいます。

安倍御主人は、唐の商品に騙されてしまったのです。

 

大伴御行(おおとものみゆき)と龍の首の珠

かぐや姫は、大伴御行に対して、龍の首に付いている珠を持ってくれば結婚すると伝えます。

大伴御行は自ら船に乗り、龍を探しに行きます。

でも途中で嵐に遭ってしまい、重病にかかり両目を患ってしまいます。

大伴御行は必死に努力しましたが、結果、龍の首の珠を持ち帰ることはできませんでした。

 

石上麻呂足(いそかみのまろたり)と燕の産んだ子安貝

かぐや姫は、石上麻呂足に対して、燕の産んだ子安貝を持って来れば結婚すると伝えます。

石上麻呂足はあちこち探し回り、ついに大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上にある子安貝らしきものを見つけます。

自ら屋根の上に上り、それを掴んだ拍子に転落してしまい、腰を打って歩けなくなってしまいます。

しかも掴んだのは、燕の古い糞で貝ではありませんでした。

石上麻呂足も、自ら努力しましたが結果は散々なものでした。

 

石作皇子(いしづくりのみこ)と仏の御石の鉢

かぐや姫は、石作皇子に対して、仏の御石の鉢を持って来れば結婚すると伝えます。

この鉢は、釈迦が使っていたとされる鉢で、天竺にあるとされていました。

しかし石作皇子は天竺に渡らず、大和国十市郡の山寺で見つけた鉢を持参します。

これが「仏の御石の鉢」だと主張しますが、本物の鉢にあるはずの神々しい光がなかったため、かぐや姫は信じません。

結局、嘘がばれて石作皇子はかぐや姫の前から退散してしまいます。

 

車持皇子(くらもちのおうじ)と蓬莱の珠の枝

かぐや姫は、車持皇子に対して、蓬莱の珠の枝を持って来れば結婚すると伝えます。

これは遥か東の海にあるという、伝説上の木の枝です。

しかし車持皇子は、実際に探しに行くことはせず、職人たちに偽物の枝を造らせます。

車持皇子の持ってきた蓬莱の珠の枝を、竹取翁は本物だと思い込み、かぐや姫に婚姻の支度をするよう促します。

しかし、職人たちが枝作りの報酬をもらっていないと訴えてきたため、偽物と判明してしまいます。

かぐや姫は大層喜び、職人たちに褒美を与えました。

車持皇子は職人たちを逆恨みし、血が出るほどお仕置きしたそうです。

 

石作皇子と車持皇子の共通点

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安倍御主人、大伴御行、石上麻呂足の3人は、自ら宝を探しに行き、唐の商人に騙されたり、目が見えなくなったり、怪我をしたりします。

一方、石作皇子と車持皇子は、自ら努力せず、偽物を持ってきたり模造品を作って誤魔化そうとします。

なぜ、竹取物語の作者は、石作皇子と車持皇子のことをこれほど悪く書いたのでしょうか。

当時の権力者、多治比嶋と藤原不比等を良く思っていなかった人物が、石作皇子と車持皇子という偽名を使って、政治批判をしたと考えられないでしょうか。

 

多治比嶋と藤原不比等

覇王不比等〈第1部〉鎌足の謎 (黒須紀一郎伝奇小説)

多治比嶋と藤原不比等だけでなく、竹取物語でかぐや姫に求婚する5人の貴族が活躍した時代は、蘇我氏といった豪族が没落し、藤原氏などの新たな豪族が力を持ちはじめた時代でした。

多治比嶋は持統天皇と文武天皇に仕え、藤原不比等は多治比嶋に代わるように文武天皇に仕えました。

藤原不比等の父は、大化の改新で活躍した中臣鎌足です。

藤原不比等が活躍した時代から約200年後、藤原家の全盛時代を築く藤原道長が登場します。

 

藤原氏の台頭

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藤原氏の祖とされる中臣鎌足は、日本史に突然登場してくる人物です。

それまでも政治の舞台で活躍していた豪族ではありません。

鎌足から代替わりし、子の不比等が活躍するようになると、手段を選ばない手口で権力の中枢にのし上がります。

平安時代、藤原氏は多くの豪族から恨みを買い続けていたのかもしれません。

 

藤原氏と日本書紀

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藤原不比等は、権力を手にすると、自分たちに都合の良い歴史書を編纂します。

それが、『日本書紀』と『続日本紀』です。

歴史書の中で不比等は、父である中臣鎌足が起こした「大化の改新」というクーデターを正当化します。

また、それまで権力を持っていた蘇我氏を、日本史の悪者に仕立て上げます。

余談ですが、蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿など、蘇我氏の名前には当時の貴族としては異例と言える漢字が使われています。

これも、日本書紀を編纂する際に、権力者に都合良く名前を変えられた可能性があるそうです。

 

竹取物語に込められたメッセージ

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竹取物語のストーリーの中で、かぐや姫を迎えに来た月の都の天人たちの台詞に、次のようなものがあります。

「いざ、穢なき所にいかでか久しくおはせん」

穢き所(きたなきところ)とは、かぐや姫が生まれ育った地上社会のことです。

この天人の台詞には、当時の権力者に対する痛烈な批判が込められている気がします。

かぐや姫という天の世界の住人(天皇)の期待に応えようと、努力しても報われることがなかった豪族達のことを、安倍御主人や大伴みゆき、石上麻呂足という登場人物に重ねたとは考えられないでしょうか。

それら豪族たちが報われなかった原因について、石作皇子や車持皇子が、偽物や作り物を準備したという表現を使い、藤原氏をはじめとした新興豪族の権謀術策によるものだとするメッセージが、作品の中に残されている気がします。

もしかすると竹取物語とは、それまで日本の礎を築いてきた蘇我氏、物部氏などの豪族を蹴落とし、天皇や皇族さえも利用し、一族に権力を集中させようとした藤原氏に対する皮肉が込められたものだったのかもしれません。

 

 

 

参考文献

公卿補任図解総覧―大宝元年(701)~明治元年(1868)

国史大系 公卿補任 第2篇 (新訂増補 新装版)

公卿補任年表

加納諸平の研究 (1961年)

竹取物語考

竹取物語本文集成

日本古典文学大系〈第9〉竹取物語・伊勢物語・大和物語 (1957年)

竹取物語・伊勢物語 (1960年) (日本古典全書)

竹取物語(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

竹取物語 (岩波文庫)