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マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

福を招くための作法「お百度参り」と、相手を呪詛するための作法「丑の刻参り」

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ゴールデンウィークは読書三昧で過ごしたいと思っていたのですが、小学生の娘2人から

「潮干狩りに行きたい」

「山登りに行きたい」

「アスレチックのある公園に行きたい」

「神戸のクルージングで、ケーキが食べられる無料招待券を貰ったから、絶対行きたい」

なんて矢継ぎ早にリクエストされてしまいました。

娘たちは、何日も前から行きたいところをリストアップして、夜寝る前に「絶対行けますように」とお祈りしていたそうです。

そんな話を聞いてしまうと、行かないわけにはいかないので、明日から日帰りで1つずつ行くことにしようと思っています。

ふと考えたら、祈る程楽しみにしていることって、大人になってからはあまりない気がします。

そんなことを考えたので、今日は祈りの作法「お百度参り」と「丑の刻参り」について書いてみます。

 

 

 

お百度参り

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お百度参りは、「お百度を踏む」とも言われています。

神社の門前から神殿の前までを、100往復して拝礼を繰り返す参拝方法です。

神社の入口近くに、その目標となる「百度石」という石柱が立てられていることがあります。

往復した回数を間違えないように、小石やこより、竹串などを百個用意しておいて、参拝のたびに拝殿・本堂に1個ずつ置くこともあるようです。

百度参りは人に見られないように行うとか、裸足で行った方がより効果があるとされる場合もあります。

このお百度参りですが、大抵は女性が行うものとされていました。

娘が親の病気回復を願ってお百度を踏んだり、武士の妻が夫の無事を祈ってお百度を踏むといった場合が多かったようです。

元々、神社に参拝するというのは、厄除けや商売繁盛、縁結びといった願い事を祈願するためという目的があります。

その神社で、一度に100回も往復して参拝するわけなので、非常に強い想いが込められた祈願になります。

 

丑の刻参り

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丑の刻参りは、お百度参りとは全く逆の意味を持った祈願になります。

お百度参りは一度に100回往復しますが、丑の刻参りは回数よりも形式や作法が重視されます。

まず、服装は白装束と決まっています。

更に、頭に五徳をかぶり、ろうそくを灯します。

胸には鏡をぶら下げ、口には櫛をくわえることになっています。

手に持つのは、呪いたい相手に見立てたワラ人形と五寸釘、金づちです。

準備ができたら、丑三つ時(午前2時頃)に出かけます。

ワラ人形を境内の鳥居やご神木に打ち付けるのですが、7日間、毎晩行うこととされています。

この丑の刻参りも、お百度参りと同じく大抵は女性が行うものでした。

女性の怖さや執念深さに、身の毛もよだつ恐ろしさを感じてしまいます。

 

丑の刻参りの原型

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丑の刻参りは、古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを指していました。

それがいつしか、相手を呪詛する行為に変化します。

京都市にある貴船神社には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承がありました。

それが丑の刻参りの原型だと考えられています。

また、丑の刻参りの原型となっている伝説には、裏平家物語とも言われる『平家物語』の「剣之巻」に書かれた「宇治の橋姫」の逸話があります。

平安時代、宇治に住む橋姫には、殺したいほど妬む相手がいました。

相手を憎むあまり、自分が鬼神となることを願います。

「三十七日間、宇治川に漬かると鬼神になれる」という神社でのお告げを信じ、その通りにします。

本物の鬼となった橋姫は、妬む相手やその親族を殺し、その後も生き続けます。

鬼となった橋姫は、渡辺綱に二の腕を切り落とされ、その腕は安倍晴明によって封印されたとされています。

 

忘れてはならないお礼参り

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福を招くための「お百度参り」と、相手を呪詛するための「丑の刻参り」。

お参りの結果、願いが成就したら、必ずお礼参りをしなければなならないとされています。

お礼参りを忘れると、不幸が訪れると考えられてきました。

昔から「人の幸福をちゃんとした作法で願えば、いずれ自分にも同じくらい幸福が戻ってくる」と考えられてきました。

同じく、「人の不幸を願えば、いずれ自分にも同じ不幸が降りかかってくる」とも言われてきました。

「人を呪えわば穴2つ」

という言葉もありますが、祈り方次第で幸せも不幸せも自由に引き寄せることができるのかもしれません。

 

誰のために祈願するのか

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数年前、「鏡の法則」や「引き寄せの法則」が流行ったことがありました。

それらの法則を好んで実践していた人は、自分自身が幸せになりたいから実践していた人が多かった気がします。

平安時代や鎌倉時代から続くお百度参りは、自分の幸せのためという意味合いも含まれているのかもしれませんが、大切な人の幸せを願う女性の一途な想いが強く込められている気がします。

また、丑の刻参りについても、相手を心の底から呪詛したいという強い想いが込められています。

良くも悪くも、自己を捨てて相手のことを真剣に考える想いがあれば、その想いが実を結ぶことが多かったのかもしれません。

相手の幸せを願うお百度参りと、相手を呪詛するための丑の刻参りから学べるところは、案外たくさんある気がします。

 

参考文献

叶うことならお百度参り―チベット聖山巡礼行

全然、知らずにお参りしてた 神社の謎 (祥伝社黄金文庫)

日本人が知らない 神社の秘密