マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

エチケットの創り手「ルイ14世」、マナーの創り手「貴婦人」、作法の造り手「武士」

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以前に、マナーとエチケットと礼儀と作法の違いを書いたことがありました。

 

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ありがたいことに、現在も検索からたくさんの方に読んでいただいています。

前回書ききれなかったことがたくさんあるので、今回は「エチケット」「マナー」「作法」を創った人たちのことについて、少し書いてみたいと思います。

 

 

 

エチケットの創り手

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エチケットというのは、ゲルマン系フランク語の「stikkan」が語源になっています。

中世のフランスでは、「太陽王」と言われたルイ14世が活躍していた時代に、ヴェルサイユ宮殿で通行札「チケット」が発行されるようになりました。

このチケットも、エチケットの語源になっています。

ヴェルサイユ宮殿のチケットは、ある基準以上の貴族にのみ発行されていました。

その基準とは、ヴェルサイユにふさわしい「宮廷の作法」を身に付けていると認められた世襲の貴族のことです。

宮廷の作法を身に付けた貴族は、ヴェルサイユ宮殿が発行したチケットを持って、堂々と宮殿に出入りし、ルイ14世と付き合うことができました。

チケットを発行してもらえない貴族は、懸命になってヴェルサイユの儀礼を学び、身に付ける努力をしました。

当時の貴族にとっては、まさにプレミアムチケットだったんです。

 

マナーの創り手

貴婦人の活躍

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ルネッサンス時代以降のヨーロッパ、特にフランスでは、王妃や貴婦人たちが才色を競うようになりました。

優雅な物腰や会話術、食事の作法を研究し、誰よりも魅力的であろうとしました。

結果、社交界(サロン)文化が花開くことになります。

サロン文化の創始者とされているのが、ランブイエ侯爵夫人です。

彼女は自分の館にサロンを創り、政治家や宗教家、軍人、文学者、哲学者、音楽家、画家を招いて、毎日パーティを開いたり交流をはかっていました。

集まった人の中で、将来有望と見込んだ相手に対しては、いわゆるパトロンになって金銭の援助を惜しまなかったそうです。

他にも、ポンパドゥール侯爵夫人も有名です。

彼女はルイ15世の寵姫でもありました。

ファッション、文学、演劇、音楽、建築、陶芸、インテリアデザインと、幅広い才能を発揮しました。

ヴェルサイユ宮殿で開かれる大夜会を豪華にかつ巧みに取り仕切ったことから、「ロココ文化の女王」と称されています。

ちなみに、社交で使われる名刺は、ポンパドゥール夫人の発明品だとされています。

アンリー二世の王妃・カトリーヌの存在も忘れてはなりません。

フランス料理のフルコースを確立させ、香水を普及させたことで有名です。

また、フランソワ一世とアンリー四世の父子2代の寵姫として活躍したディアンヌ・ドゥ・ポワチエ夫人は、交際術や恋愛作法の創始者とされています。

 

西洋マナーの女王 マリー・アントワネット

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こうした王族・貴婦人達が、宮廷内のマナーやエチケットを磨き上げてきました。

当時の一般庶民も、争うようにこれを真似し始めたのです。

その極め付きとも言える人物が、マリー・アントワネットです。

ヨーロッパ屈指の名門・オーストリアのハブスブルク家の王女として、マリア・テレサに育てられ、フランスのルイ16世に嫁ぎました。

マリー・アントワネットは、フランスが誇るワイン文化とフランス料理の組み合わせを確立させました。

また、現在のハンカチの形を制定した人物でもあります。

 

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現代にも通じる西洋マナーの基本は、マリー・アントワネットとその時代の人々が確立したと言えます。

 

作法の創り手

儒教と作法

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中国の春秋時代の思想家・孔子の教えは、日本の作法にも大きな影響を与えています。

孔子が唱えた教えは、儒教です。

儒教は、仁(博愛・慈愛)、孝梯(親孝行、兄弟仲良く)、忠恕(誠意と思いやり)の3つを、倫理上の理想としています。

日本書紀によると、儒教の教えは応神天皇の頃(西暦200年頃)に日本に伝来したとされています。

当時の政治や道徳の基本となる教えとして、皇室祭祀にも取り入れられました。

有名な「憲法十七条」や「大宝律令」にも、儒教の「礼」の思想が取り入れられています。

日本独自の作法が確立され始めたのは、平安時代になってからです。

宮廷を取り巻く貴族の間で、「有職故実(ゆうそくこじつ)」が重んじられるようになりました。

有職故実とは、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのことです。

有職故実を体系化した人たちのことは、「有職家」と呼ばれ、当時最高のインテリ層として尊敬を集めていました。

有職家の小野宮氏、九条氏は、当時の礼法の権威とされていました。

当時、殿上人の服装においては、色で格式が定められていました。

紫が最高位とされ、順に青、赤、黄、白、黒と定められていました。

平安時代に、どれだけ衣服が重要視されたかは、世界最古の宮廷恋愛物語『源氏物語』に、詳細に描写されています。

また、現代も和食と言えば「四條流」とされています。

9世紀に活躍した公卿・四條家が、現代にも通じる和食の作法を確立しました。

9世紀前半に即位した光孝天皇は、ご自身でも料理を嗜まれた天皇です。

材料の吟味から調理方法、盛り付け方、料理人としてのたしなみまでを「料理道」として体系化し、日本料理の文化を確立させました。

当時の四條中納言藤原山蔭は、平安時代の貴族が屋敷に客人を迎えた際に、客の目の前で包丁を持って料理し、歓迎の意を表す方法として「包丁儀式」という作法を創っています。

 

武士と作法

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平安時代から鎌倉時代になると、武士が日本の政権を担うことになります。

最初に力を持ち始めた武士は、皇室の外戚となった平家一門です。

それを滅ぼして鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、弓馬師範の名門・小笠原長清に命じて、「武家諸礼法」を制定しました。

戦に明け暮れる荒武者を、格調高い礼儀作法で縛り上げることで、秩序を確立させようとしたのです。

この取り組みが功を奏し、いわゆる武士道の原型が鎌倉時代に確立されました。

時代が進み、政権が足利氏、徳川氏へと移っても、小笠原氏は時代ごとの将軍の要請で、武士に作法を指導しました。

その集大成が『三議一統』『礼書七冊』といった書物の編纂です。

足利氏が政権を持った室町時代には、武士を礼儀や格式で縛ろうとする取り組みが強化されました。

幕藩体制を強化するため、上下関係を明確にさせたのです。

上下関係を明確にした上で、儒学の「三綱五常」の理論を幕府運営の基礎としました。

三綱五常の三綱とは、君臣・父子・夫婦のつながりのことです。

五常とは、仁・義・礼・智・信のことです。

江戸時代になると、身分制度が更に確立されることになります。

それぞれの身分によって、言葉遣いや服装、食事、家のつくりなど、生活様式全般に渡って決まりが定められるようになりました。

当時の日本の人口の1割にも満たなかった武士が、農・工・商の庶民を支配するのに、こうした秩序を定めることが必要だったんです。

儒教的礼法を施政者のニーズに合わせた、徳川幕府の封建制度確立によって、300年以上続く平和な時代を保つことができたとされています。

 

西洋と日本の違い

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ヨーロッパ、特にフランスで確立されてきたエチケットやマナーは、女性が中心となって創り上げてきたものでした。

その目的は、女性の優美さやエレガントさを競い合うためという意味がありました。

一方、日本で確立されてきた作法は、平安時代までは貴族がその創り手を担ってきました。

武士が政権を取り、封建制度を確立させるために、儒教を利用して身分制度を確立させ、武士の支配を絶対的なものにするために発展してきました。

現代はグローバル化、ボーダレス化と言われています。

グローバル化の象徴でもある「インターネット」のマナーや作法は、未だ確立されていない気がします。

「四條流」や「小笠原流」に匹敵する、新しい「インターネット作法」が、近い将来に確立されていくのではないかと思っています。