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マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

日本人は、いつから桜を愛するようになったんだろう

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4月になったら、家族で花見に行きたいと思ってます。

今日は桜の開花情報や見頃のシーズンを調べてみました。

私が住んでいるエリアでは、4月中旬頃が桜の見頃のようでした。

去年はタイミングが悪く、花見に行こうと予定していた前日に雨が降ったので、今年は雨が降る前に、桜を見に行きたいと思っています。

花見に行く前に、花見の歴史を調べてみました。

今回は、花見について書いてみます。

 

 

 

梅と桜

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春になると、桜の木の下で花を愛でながら宴会する「花見」。

調べてみたら、これは江戸時代に庶民の間に広まった習慣のようです。

奈良時代頃までは、当時中国を支配していた唐の文化に影響され、梅の花が好まれていたようです。

『万葉集』に収められた和歌を調べてみると、梅を詠んだ歌は桜を詠んだ歌の3倍近い数がありました。

平安時代になると、この数が逆転します。

平安時代に編纂された『古今和歌集』を調べてみると、桜を詠んだ歌の数が、梅を詠んだ歌の数の倍近くになります。

 

庶民の花見は、豊作を祈願する儀式だった

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奈良時代や平安時代、都に住んでいた貴族や庶民の間では、梅や桜が好まれていました。

当時の地方都市や農村部では、花見のことを「山遊び」と呼んでいたそうです。

旧暦の3月3日や4月8日に、集落の人たちが集まって開催していました。

農村部では、この日を境に「山の神が田の神になられる」と言い伝えられていたそうです。

集まった集落の人たちは、山桜の開花状況を見て、その年の農作物の出来具合を占っていました。

同時に、豊作を祈願するため、神と一緒に食事をするという「神人共食」の儀式も行われていたそうです。

桜の開花については、開花前の気温が花の成長に関係することが科学的にも証明されています。

桜の開花メカニズムについて、島根県の松江気象台のサイトが紹介したものが分かりやすかったのでリンク貼っておきます。

桜について

昔の農村部では、いつから農作物の生育を始めれば良いか決めるために、桜の開花時期を知るのはとても大切なことだったようです。

 

平安時代から始まった、お花見

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日本で最初の桜の花見については、『日本後記』に記録があります。

812年に嵯峨天皇が神泉苑で「花宴の節(せち)」を開いたのが最初だとされています。

花宴の節では、桜を鑑賞しながら詩や歌を詠んだり、音楽を楽しんだりしたそうです。

鎌倉時代や室町時代になると権力者が花見のための庭を造るようになります。

源頼朝は「桜の御所」を造りましたし、足利義満は「花の御所」を造りました。

大規模な花見が開催されたのは、1598年に豊臣秀吉が醍醐寺で催した「醍醐の花見」です。

醍醐の花見のために、近江、河内、山城、和泉の桜700本が、醍醐山に移植されたそうです。

江戸時代になると、江戸にある大名屋敷の庭で、花見が催されるようになりました。

庶民の間に花見が広まったのは、享保の改革を行った8代将軍徳川吉宗の時代です。

隅田川の堤や浅草寺境内、飛鳥山などに桜を植えて、その場所であれば酒宴をしても良いと幕府がおふれを出しました。

実際に、それらの場所で満開の桜を楽しめるようになったのは、文化・文政時代になってからだと言われています。

「享保」の元号が使われたのは、1716年から1736年にかけてです。

「文化」の元号は、1804年から1818年まで使われました。

「文政」の元号は、1818年から1830年までです。

享保の時代に植えられた桜が見事に咲くまで、100年近くかかったようです。

幕末になると、江戸時代は別荘地として使われていた向島が、大料亭街に様変わりしました。

夜に花見の宴が催されるようになり、この頃から夜桜を楽しむ人が増えたとされています。

 

桜に対するイメージ

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奈良時代や平安時代は、庶民にとって桜は農耕儀礼に深く関係するものでした。

時代が進むにつれ、美しく咲き、散る花の姿が愛されるようになりました。

でも、桜に対するイメージは、良いものばかりではないようです。

歌舞伎や能では、桜は狂気の象徴とされています。

また、花が散る姿が、兵士の戦死を意味するようになりました。

太平洋戦争の戦前から戦中に使われていた国語の教科書では

「サイタ サイタ サクラガサイタ、ススメ ススメ ヘイタイススメ」

という言葉が、小学校1年生で最初に習う語句とされていました。

当時の日本海軍歌に、「同期の桜」というものがあります。

この歌の中に

「貴様と俺は同期の桜、咲いた花なら散るのは覚悟」

という歌詞が出てきます。

戦没者を祀る靖国神社は、桜の名所として有名です。

たくさんの桜が靖国神社に植えられた理由も、こうした桜に対するイメージが関係しているのかもしれません。

 

時代と共に変化する、桜のイメージ。

その美しいと感じる気持ちは、不変のものであって欲しい気がします。

 

参考文献

 

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)

桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅 (岩波新書)

 

 

武士道 (PHP文庫)

武士道 (PHP文庫)

 

 

桜文化と日本人

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