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マナースタイル★MannerStyle★

ビジネスコンサル兼マナー講師が、「マナー」「礼儀」「作法」「しきたり」の由縁について、調べたことをまとめたブログ。単なる備忘録です。

文化の視点で考えてみた、「武士の作法」と「ヨーロッパのマナー」と「インターネット」

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3月に入ってから、本を読む時間が格段に増えました。

そして、読んだ内容をじっくり考える時間も持てるようになりました。

しばらくインターネットやブログから離れた生活を送っていたため、1人の時間に本を読んでいることが多かったんです。

このブログのテーマにしているマナーや作法に関する本も何冊か読んだのですが、改めて発見できたことがたくさんありました。

日本とヨーロッパのマナーや作法の成り立ちの違いについても、再発見しました。

そんなわけで今回は、東洋の作法と西洋のマナーのニュアンスの違いについて書いてみます。

 

 

 

日本の礼儀作法は誰のためのものか

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日本の礼儀作法は、鎌倉時代にその原型が創られたとされています。

好戦的で野蛮だった武士に、公の場での所作を教え込むために利用されたと考えられています。

特に「食べる」ことについては、現代に通じる作法が確立されようとしていました。

その頃の書物の中には

「喰跡(くいあと)、月の輪の如く見え見苦しく候」

と、食べ物をかじった跡が見苦しく見えることを戒めたものもあります。

また、好戦的な武士同士の争いを少なくするために

「刀を右手に持ち入り、座右に置く」

といった作法も決められました。

こうすれば、すぐに刀を抜くことはできなくなります。

更に「行き会う際は、馬の鐙(あぶみ)をはずすべし」

といったものもありました。

鐙をはずしておくことで、馬上から切りつけることはできなくなります。

相手に危害を加える気はないという、意思表示のための武士の作法でした。

時代が進み、江戸時代になると、武士による封建制度の確立と全国支配のために、作法が利用されました。

「士農工商の身分制度」

「一家の大黒柱となる、家長を敬うように」

といった封建的な考え方を社会に浸透させるために、作法を利用したのです。

年中行事をはじめ、元服、婚礼、葬儀、服装、食事などの生活スタイルから、正座やおじぎなどの所作に至るまで細かな決まりが定められました。

全ては、武士による封建制度を絶対的なものにするためのものだったようです。

 

ヨーロッパのマナーは誰のためのものか

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ヨーロッパのマナーは、各国の王室を中心とする上流階級で生まれました。

その後、キリスト教圏の国々に広がり、中世の騎士道に則って確立されていきました。

礼儀をラテン語で「mores(モレス)」と言います。

この言葉は、「moralis(モラリス)」の語源となったとされています。

moralisは、道徳と言う意味です。

すなわち、ヨーロッパでは「礼儀は道徳の本質である」と考えられていたようです。

時代が進むと、moralisにキリスト教の「汝隣人を愛せよ」といった道徳観が加わります。

更に、騎士道精神の「神を敬う」「礼節」「勇気」「名誉」「レディーファースト」といったものが加わり、西洋のマナーが確立されていきました。

ヨーロッパでは、古くから「社会」を意識したマナーが必要とされてきました。

社会生活を送る上で、他人との関係をスムーズにするために、暗黙のルールや約束事を明確にする必要があったんです。

そのためヨーロッパでは、幼い頃から他人に不快感や違和感を与えないことを教えるのが、「躾」とされていました。

ヨーロッパのマナー教本は、古いものだと13世紀に書かれたものがあります。

その内容は「振る舞いの美学」について書かれています。

「どう振る舞えば、相手に不快感を与えないか」という内容から始まる教本は、「社交術」「処世法」といったテクニックに至るまで紹介されています。

このことは、現在のフランス公民教科書にも明記されています。

 

作法やマナーは文化なのかもしれない

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英語に「manners(マナーズ)」という単語があります。

辞書では、礼儀・作法・習慣・規律・態度といった意味と解説されています。

ヨーロッパでは古くから

「culture(カルチャー)とは、洗練された動作のこと」という解釈があります。

「civilized(文明化された)とは、礼儀作法をわきまえた教養人で成り立つ社会」という解釈もあります。

ということは、西洋人によってマナーとは「文化度」を示すものなのかもしれません。

日本においても、「礼儀」「作法」「しきたり」といったものは、文化として根付いているものがたくさんあります。

冠婚葬祭や年中行事は、もはや単なるしきたりではなく、文化に昇華されている気がします。

 

作法やマナーが確立されていない、新しい文化

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中国の古い言葉に

「三世の長者は衣服を知り、五世の長者は飲食を知る」

というものがあります。

本当に良い衣服のことを知るためには、少なくとも3世代に渡って裕福な環境で育った人でないと無理ではないか。また、本当に美味しい食事を知るためには、少なくとも5世代に渡って裕福な環境で育った人でないと無理ではないか、という意味です。

何事も「文化」と呼べるまでになるには、長い時間がかかるということを表した言葉だと思います。

最近は、「インターネットの文化」と言う言葉を目にすることがあります。

でも、中国の古い言葉の考え方を当てはめると、インターネットが文化に昇華するまでは、これから先長い時間がかかるような気がします。

インターネットの世界には、相手に不快感を与えないためのマナーや作法が少ない気がしますし、それを指摘する人も少ない気がします。

インターネットが原因でいじめが起きたり、自殺に追い込まれたりするのをニュースでよく目にします。

そこまでひどいものではなくても、相手が傷つくであろうメッセージが残されている有名人のブログを目にすることもよくあります。

インターネットは、まだ「civilized(文明化された)」世界ではないのかもしれません。

 

しばらくインターネットから離れて、いろんな本を読んでいたらそんなことを考えてしまいました。